貨幣の発行枚数と価格

 私は小さい時から『時刻表』が大好きでした。毎月大して変わりもしない時刻表を買っては眺め、買っては眺めていました。そして、自分が国鉄総裁になった気分で新しい時刻表を作り、新しい列車を走らせていました。それを見て、両親が呆れていたのを思い出します。実は『日本貨幣カタログ』も好きでして、何か数字が並んでいるのが好きなのかもしれません。何度も何度も目を通している内に、「竜20銭明治8年は・・・前期後期合わせて612,736枚」と特年は結構覚え、「稲1銭明治34年は・・・5,555,155枚・・・ゾロ目おしい」、「宝永永字丁銀は・・・5816貫、そりゃ少ないわ」という風に、様々な貨幣の発行枚数を結構覚えてしまいました。

 竜10銭明治7年の発行枚数は、カタログによると、10,221,571枚と竜10銭の中では決して少なくはないんですが、現存数は明治13年を除くと1番少ないと思います。これは明らかに造幣局の記録の間違いで、明治6年や明治8年の発行枚数と記録が混ざってしまったと考えられます。明治7年の発行枚数は実際にはかなり少なかったと思います。

 新20円金貨や新5円金貨の昭和年号も発行枚数は膨大ですが、そのほとんどが箱詰めのままでアメリカに渡り、潰されてしまいました。そのため現存数は極めて少なく、財務省の放出があるまで、ほとんど市場には姿を現しませんでした。

 古金銀でも慶長小判・一分金と元禄小判・一分金の鋳造量はほとんど同じですが、現存数は元禄金の方がかなり少ないです。「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則ではないですが、庶民は品位の良い慶長金を退蔵したので、本来なら古くて現存数が少なそうな慶長金が意外と現存しているわけです。幕府は元禄金の品位は公表せず、慶長小判100枚で元禄小判101枚と交換しましたが、なかなか慶長金の回収は進まなかったようです。幕府は慶長小判2枚で元禄小判3枚を鋳造して、およそ500万両の出目を獲得したわけですが、庶民も慶長小判を退蔵し、庶民なりの防衛をはかったのでしょう。

 ですから、発行枚数と現存数・価格は必ずしも一致しないわけですが、それでも一定の相関関係があるのは否定できません。発行数が少なければ、現存数も少ないのはある意味当然です。そんな中、昔からちょっと不思議に思っていることがありました。それは新5円金貨です。発行枚数の割には価格が非常に安いです。同じように思っている方、おられませんか?

 昭和5年は別として、発行枚数が一番多いのが明治30年で111,776枚、一番少ないのは明治36年の21,956枚です。とても少ないです。新20円や10円金貨と比べても圧倒的に少ないのに、価格は新10円金貨の並年とあまり変わりません。言うまでもなく、50銭や20銭、10銭銀貨の特年の発行枚数とは桁違いです。

 もちろん、金貨はあまり使用されずに大切にされたので発行枚数と比べて現存数が多いとか、新5円金貨のデザインや大きさに人気がないとか、理由は色々あるでしょうが、それにしても新5円金貨の評価は低いような気がします。私が思っている以上に現存数があるのかもしれません。昔からちょっと気になることを書いてみました。