玉一・入分一分銀は一分銀収集家に人気があるカテゴリの一つです。玉一・入分とも、非常に現存数が少ない貴重な一分銀です。玉一と入分の存在比率は私の実感では1:3くらいで、玉一の方がかなり少ないと思います。ただ、価格的にはそれほどの差はなく、普通の入分一分銀が極美品で15000円くらいだとすると、玉一一分銀は20000~25000円くらいです。昔はもう少し玉一が高かった気がするのですが、入分が値上がりしたというよりは玉一が値下がりして両者の差が縮まった感じです。どちらも製作自体は極めて雑、いわゆる"雨降り"が多く、カットも非常に適当で、形の悪い一分銀が大半です。大急ぎで、急場をしのいだ"感"が否めない一分銀です。
玉一・入分一分銀は入分の表I型とM型を除き、安政一分銀の書体と同じです。ですから、貨幣カタログを始め、多くの手引書では安政一分銀のカテゴリに入れられていますが、私は明治一分銀の一種だと考えています。もし玉一・入分が安政一分銀ならば、なぜ極印を改定する必要があったのでしょうか。表「一」に玉をつける、表「分」を入分にする、裏の「座」に玉をつける、という作業は極印改定では非常に簡単ですが、ひと手間かかることは間違いありません。何故ひと手間かけたのか。それは従来の安政一分銀との差別化以外考えられません。明治新政府は慶応4年(1868)4月に金銀座の接収を開始しました。そのまま従来の安政一分銀を製造し続けても構わないわけですが、新しい時代になったことを示したいのは当然です。しかし、全く新しい意匠での一分銀製造には時間がかかるので、とりあえず旧幕府の安政一分銀の極印を少し改定して、"明治新政府の一分銀"としたのではないでしょうか。その後、新しい極印の表I型とM型が試作品として製造され、本格的に明治一分銀にバトンタッチされていったのだと考えています。表I型とM型の現存数が極めて少なく、その書体(短柱銀)が明治一分銀のM型やK型と極めて似ていることからも、このような推理が成り立つのではないか、と思っています。
ご存知の方も多いとは思いますが、最近新しい入分が発見されました。Igです。東京のある古銭商のホームページで販売されていました。今年の5月、それを購入された方から実物を見せて頂きました。状態も良く、素晴らしい入分一分銀でした。あまりに高価なので、私には夢のまた夢ですが。Igは別格ですが、入分は表I型とM型という珍品がありますので完集はほぼ無理ですが、玉一なら12枚の完集は可能かもしれません。
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