天保一分銀 拾両包みの開封

 先日、天保一分銀の拾両包み(40枚)を開封しました。慶應2年(1866年)に包まれたものですから、158年ぶりに包みを開けたことになります。この包みは銀座の包みではなく、民間(両替商など)の包みですから、どのような状態かは開けてみるまでは分かりません。包みによっては「一分銀」としか書かれていないものもありますから、開けてみるまでは天保一分銀か安政一分銀か、混ざっているのか、わからないもの多いです。

 しかし、この包みには「古一分銀拾両」と書かれているので、天保一分銀であろうと推測できました。包みを開封する時のわくわく感はたまりません。どのような状態の天保一分銀が包まれているか、珍品は包まれているのか、興味は尽きません。包みを開封すると、中身は間違いなく全て天保一分銀でした。中でバラバラにならないように5枚ずつ小さな紙で括られたものが8組、合計40枚が包みの中に納められていました。

 

 未使用品を期待していましたが、残念ながら、40枚とも美品から準未使用品レベルの天保一分銀でした。でもこればかりは開けてみるまでわからないので仕方ありません。40枚中、37枚はごくありふれた逆桜の一分銀でした。表はP・T・Zで、Rは1枚もありませんでした。残り3枚の内、2枚がやや少ない逆桜(QlとTl)でしたが、1枚大物が登場しました。それは何とQm、つまり切れ分・長柱座、です。状態もかなり良く、極美品から準未使用品クラスです。40枚の中に長柱座が混じっていることはほとんどないので驚きました。

 「包みを開ける」というのは、なかなか勇気がいることです。包みのままだと、何が入っているのか、という夢は持ち続けることはできますが、確認はできません。資産性では包みのままの方が有利です。夢つきだからです。開けてしまうと結果はわかりますが、夢はなくなります。素晴らしいものが入っていれば開けて正解、と思えますが、中身が並だと、開けなければよかった、と誰しも思うものです。なかなか難しいところですねぇ。